霧幻峡と只見線撮影スポット
日本の原風景にタイムスリップしたような特別な体験
白虎隊ゆかりの飯盛山に建つ、世界唯一の二重らせん構造「さざえ堂」
会津若松市街地を見下ろす飯盛山(いいもりやま)は、高さ約130mの小高い丘で、古くから弁財天、古代四道将軍、日本武尊の神話も残る信仰の山とされます。
戊辰戦争時、白虎隊が飯盛山から市中火災を眺めて鶴ヶ城が落城したものと早計し自害した「白虎隊の悲劇」でご存知の方も多いのではないでしょうか。。
飯盛山の中腹には「会津さざえ堂」と呼ばれる、1796年(寛政8年)に建立された六角三層の仏堂が建っています。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といい、高さは16.5m。内部には二重螺旋の回廊があり、上りと下りの通路が完全に分かれた一方通行構造になっています。
往路の回廊沿いには西国三十三観音像が安置されており、一度参拝すれば三十三観音巡礼と同じご利益が得られると伝えられています。たくさんの参拝者がいてもすれ違うことなく安全にお参りできるこの世界的にも珍しい独特な建築様式は高く評価され、1996年に国の重要文化財に指定されました。
白虎隊は、少年約305名で構成された予備部隊でした。 1868年秋、鶴ヶ城が囲われ猛攻を受ける中、戸ノ口原の戦いで隊から分断された20名の隊士が飯盛山にたどり着きました。
彼らは山頂から炎と煙が上がる城下町を見下ろし、鶴ヶ城が落城したと誤認しました。絶望した少年たちは名誉のために切腹による集団自決を決行。最終的に19名が亡くなりました。飯盛山では、かつて白虎隊の少年たちが眺めた風景を私たちも見ることができます。自刃した19名が埋葬されている「白虎隊十九士の墓所」を参り、白虎隊記念館や白虎隊民族歴史館で戦争の遺物や会津の歴史を学ぶことができます。
会津さざえ堂は六角形の外観と二重螺旋の回廊が特徴的で、まるで貝のサザエのように見えることから「さざえ堂」という通称がつけられました。最上階まで達するには、階段を時計回りに1回転半登ります。頂上には上り階段と下り階段を分けるアーチ状の橋・太鼓橋がかかっています。
この会津さざえ堂は、寛政8年に当時隣接していた正宗寺の住職・郁堂によって建立されました。郁堂がどのように設計したかは謎に包まれていますが、「二枚の紙を捻り合わせた夢をみた」という伝説が伝えられているほか、西洋の知識に影響を受けたとも言われています。
さざえ堂の螺旋階段
飯盛山
さざえ堂
会津若松駅から周遊バス「ハイカラさん・あかべぇ」に乗り、「飯盛山下」で下車。まず山道をのぼり、山頂を目指しましょう。参拝路があるのでそれに従っていくのがおすすめです。動く坂道(スロープコンベア)が設置されており、足腰に自身のない方はこれを利用すれば楽に移動できます。(大人:250円、小学生:150円で利用可能)ただし、スロープコンベアを利用すると参拝路通りの道順ではなくなることにご注意ください。


しばらくいくと、会津さざえ堂に到着します。二重螺旋の内部をぐるっと巡り、観光客がたくさんいるはずなのに誰にもすれ違わない…そんな不思議な感覚を味わうことができます。また、天井には過去の参拝者たちによるお札が多数貼られており、その歴史を感じさせます。
さらに登っていくと、頂上付近に白虎隊十九士の墓があります。付近には白虎隊士をたたえてローマやドイツなどから寄贈された石碑がいくつも建てられています。そこから少し階段を下りると、「白虎隊自刃の跡」があります。
飯盛山頂上の展望台からは会津若松市街を一望でき、晴れた日には遠く磐梯山や只見方面まで望めます。春には樹齢約300年のエドヒガンザクラ「太夫桜」が開花し(4月中旬~下旬が見頃)、秋には紅葉に染まる山腹が美しい景色を演出します。飯盛山の展望広場は24時間自由に開放され、夜になると市街地の夜景や駅周辺の灯りを楽しめる穴場スポットにもなっています。
また、展望台には飯盛山で最も古い歴史を持つ売店「飯盛分店」があり、ここには売店とお食事処が併設されています。会津餅ゆべしや会津の地酒、赤べこや白虎隊グッズ、起き上がり小法師など、お土産にピッタリのものが並んでいますよ。
飯盛山のふもとにも、売店、休憩所が並びます。飯盛山観光センター「イガラシ」では、名物の会津蕎麦やソースカツ丼を味わうことができます。その後は、先ほど山頂から見た鶴ヶ城にも足を伸ばしてみましょう。山のふもとから鶴ヶ城へは車で約10分とアクセスも抜群です。
さらに、飯盛山参道の記念に御朱印をいただくこともできます!
営業時間・定休日
料金
駐車場
夏のさざえ堂