インタビュー

【奈良・宇陀】自然のリズムと共生する「ちょっと不自由なホテル」 ume,yamazoeの軌跡

奈良県山添村。観光資源や温泉といった、いわゆる「分かりやすい魅力」に乏しいとされるこの過疎の村に、世界中からゲストが引きも切らずに訪れる宿があります。「ume,yamazoe」。代表の梅守氏がこの地に根を張ってから10年。彼女が試みてきたのは、単なる移住や起業ではありません。それは、都市の喧騒の中で摩耗した身体感覚を取り戻し、自然の摂理と「折り合い」をつけて生きるための、壮大なライフスタイルの再構築です。

2026年、創業から7年目を迎えた今。大阪のビジネス街から「逆方向の電車」に揺られ、何もない村に可能性を見出した一人の女性の軌跡を辿ります。そこには、現代社会が忘れてしまった「誠実な不自由さ」という名のラグジュアリーが息づいていました。

大﨑 庸平

株式会社 Hinotori 代表取締役

大﨑 庸平

地域観光と地域旅館が好きで株式会社Hinotoriを起業しました。以前は株式日本ユニストにて熊野古道の宿「SEN.RETREAT」を立ちあげ集客していました。「地域のまごころが報われる世界を創る」をミッションに旅館と地域観光を盛り上げたいと思っています。以前は屋内型テーマパークSMALL WORLDSやアートアクアリウム美術館の立ち上げに参画してマーケティングをしたりとマーケティング畑が長いです。新卒ではPwCコンサルティングに所属しておりました。

http://hinotori-trip.com/media

ume,yamazoe代表の梅守志歩さん。10年前に山添村に移り住み、元村長の自宅であった建物を利用してお宿を始められました。

ume,yamazoe。

奈良県山添村に佇む「ちょっと不自由な宿」。過疎地域でありながら、その魅力に惹かれてたくさんの人が訪れます。

逆方向の電車に乗って。山添村での創業と「居場所」の獲得

ーーまずは、この場所で宿が始まった経緯からお聞かせください。梅守さんが山添村に移り住んだのは2016年、ちょうど10年前になりますね。

梅守さん: そうですね。2016年の9月、20代の半ばにこの村へ引っ越してきました。当時はまだ大阪の中津に住んでいて、そこから奈良まで車で通っていたんです。でも、どれだけ通っても、自分が自然の大きなリズムの中で生活している、この土地に根を張っているという実感が持てなくて。

20代の頃の私は、今とは正反対の生活でした。営業職として朝から晩まで、時には終電を逃してオフィスの机で寝るような猛烈な働き方をしていたんです。そんな日々の中で「自然の中で暮らしたい」という渇望だけが膨らんでいきました。3年ほど通った時に気づいたのは、ここに移り住むだけでは不十分だということ。この土地で仕事を作り、生活の糧をここで得る。そうして初めて、私はこの場所に本当の意味で「居る」ことができるんじゃないか。その「場所への帰属」を叶えるための手段が、私にとっては宿だったんです。

ーーこの建物は元村長の家だったと伺いました。東向きの素晴らしいロケーションですが、出会った時の印象は?

梅守さん: 最初は「景色は最高だけど、ボロボロだな」って(笑)。業態は何でも良かったんです。自分をいかに自然の中に入れ込むか、それだけが目的だったので。ただ、たまたま農山漁村での宿作りに補助金が出る制度を知り、「これなら形にできるかもしれない」と。

物件を探す条件は一つだけ、「自分が心から好きだと思える環境」であることでした。ここは東向きで、毎朝本当に綺麗な朝日が登ります。少し高台になっていて、自然の長い時間の流れをパノラマで見渡せる。建築やデザインの経験はゼロでしたが、この景色の力があれば、何かが始まると直感しました。

山添村は3つの村が合併してできたのですが、ここはかつてその一つを治めていた方の家でした。120年以上、この景色を見守り続けてきた建物に、不思議な縁を感じたんです。ただ、その後の「地域との対話」が、私にとっての本当の創業の苦しみであり、哲学の産声となりました。

90代と20代の「あわい」。ちょっと不自由なホテルの真意

ーーコンセプトである「ちょっと不自由なホテル」。この言葉には、地域住民との摩擦という、避けては通れないプロセスが反映されているそうですね。

梅守さん: はい。2020年3月のオープンまでに、実は2年半もの歳月を地域の方々との対話に費やしました。正直、反対意見は多かったです。小さな村に新しい風が吹くことは、彼らにとって「ゴミが増える」「騒音が起きる」という不安そのものでしたから。

当時、一番の懸念を伝えてくださったのは90代のおじいちゃんでした。20代の私の「村を活性化したい、新しい希望を作りたい」という正しさと、90代の彼の「静かに穏やかに暮らしたい」という正しさ。この二つは、どうしたって相容れないんです。でも、どちらも等しく「正しい」。

ーーその対立を、どうやって乗り越えたのですか?

梅守さん: 説得するのを、やめたんです。私の正しさを認めさせて相手を変えようとするのではなく、お互いの正しさを抱えたまま「ご迷惑をおかけしない形で共存する」というスタイルを選びました。

人間社会も自然界も、完璧なものなんてありません。どんな生き物にも不自由さや欠点がある。0か100かの決着をつけるのではなく、互いの「不自由」を認め合い、少しずつ我慢し合いながら成立しているのが社会の本質です。その「あわい(間)」にある調和こそが、この宿で提供したい体験なんだと。それが「ちょっと不自由なホテル」という言葉に結晶化されました。利便性や効率を追求する現代へのアンチテーゼとして、この不自由さを受け入れることが、深い安らぎに繋がると気づいたんです。

「う」と「め」の響き。大和言葉が導く再誕生の物語

ーー屋号である「ume」の由来について教えてください。名字の梅守から、というだけではない深い意味があるとか。

梅守さん: 名字は、最後に偶然重なったおまけのようなものです(笑)。一番の由来は、庭にある一本の梅の木。この家には「一石一木(いっせきいちぼく)」という、一つの石と一本の木で風景を作るという思想が息づいていました。樹齢200年、この家が建つ前からここを守り続けてきたその梅の木を、私たちはアイデンティティとして受け継ぐことにしたんです。

そしてもう一つ、奈良という「大和言葉」の発祥の地で名付ける意味を考えました。日本語の音の一つひとつには意味が宿っています。例えば「米(こめ)」。「こ」は内側に込める、「め」は恵みや芽吹き。つまり恵みを込めたものが米なんです。

ーーでは、「う」と「め」にはどのような意味が?

梅守さん: 「う」は生み出す、生まれる。「め」は先ほどと同じく、恵みや芽吹き。宿に来てくださるゲストには、日常を一度立ち止まり、自分をリセットして「新しく生まれる」「目覚める」ような時間を過ごしてほしい。そのきっかけになりたいという願いを込めて「ume」と名付けました。偶然にも、私の名字がその梅を守る「梅守」だったと気づいた時、この場所で生きていく覚悟が決まったような気がします。

DIYサウナと、アラスカを歩く狼の影

ーーume,yamazoeの象徴でもあるサウナですが、これもDIYで手作りされたと伺い驚きました。

梅守さん: コロナ禍で時間はたっぷりあるけれど、お金はなかったんです(笑)。でも、ただ安く済ませるためではありませんでした。薪の使い方も、木が山からどう降りてくるのかも知らないままお客様に提供することは、私には「嘘」をついているように感じられたんです。

ストーブの構造、火の特性、風の流れ。木の種類によって熱の出方がどう変わるのか。それらを一つひとつ、身体的な実感として自分の中に貯めていく。構造を知らなければ、本当の意味でお客様をもてなすことはできない。その「誠実さ」を形にするためのDIYでした。

ーーその自然への深い洞察の原点には、一冊の本があるそうですね。

梅守さん: 星野道夫さんの『旅をする木』です。大阪のビル群の中で、分刻みのスケジュールに追われていた頃の私に、友人が貸してくれました。

私が満員電車で「今日はあれをしなきゃ」と消耗しているまさにその瞬間、アラスカの広大な大地では、何億年も変わらない時間軸の中で一匹の狼が歩いている。その事実を意識するだけで、閉ざされていた心が宇宙まで広がるような感覚がありました。自分も、どんなに小さくてもいいから、その大きな自然のリズムを刻みながら生きたい。25歳の時のその衝動が、今の私をここに立たせています。

全ての人へのフラットな眼差し。「はじまり」プロジェクトの祈り

ーースタッフの方々の接客も非常に個性的で温かいですが、運営において何を大切にされていますか?

梅守さん: マニュアルではなく、その人の「人生経験」が生きる場でありたいと思っています。スタッフそれぞれの人生の軌跡が、そのままお客様へのもてなしに溶け出すような自由度を大切にしています。

ーー障がいや病気を持つ方を受け入れる「はじまり」プロジェクトについても、背景を詳しく伺えますか。

梅守さん: 宿を始めて2年目、ふと疑問が湧いたんです。私たちが提供している「優しさ」は、特定の、健常で余裕のある層だけに向けられたものなのか?と。「優しい場所」を標榜するなら、選択肢を持つことすら難しい方々にも開かれているべきではないか、それは片手落ちではないか、と。

私には重度の精神疾患を抱える姉がいて、妹は白血病を患っていました。病気や障がいによって、当たり前の選択が奪われる不自由さを、家族として痛いほど知っています。「うちは大丈夫ですよ」と胸を張って言える場所。ターゲットを絞るマーケティングの定石とは逆行しますが、全人類的な痛みに寄り添うことこそが、umeというブランドの倫理的な基盤になると信じています。初めて姉を迎えた日は、嬉しくてつい喋りすぎてしまいましたけどね。

朝食の「パッカン」に込めた希望

ーー食事についても伺いたいのですが、地産地消という言葉以上のこだわりを感じます。

梅守さん: 車で15分圏内の食材をメインに据えています。それは単なるトレンドではなく、輸送負荷を減らすという「自然への配慮」であり、この土地で商いをさせてもらう上での「誠実なチョイス」の表現です。実家の寿司屋から継承した「わさび寿司」も、村のおじいちゃんたちが20年前に発足させた「わさびの会」との縁から生まれました。地域の未利用資源を、私たちの手で価値あるものに変えていく。

ーー特に朝食の際、お櫃を開ける「パッカン」の演出は、SNSでも大きな反響を呼んでいますね。

梅守さん: あの演出には、私の原体験が詰まっています。白血病だった妹が、闘病中に「退院したら大阪の串カツを食べに行きたい」と切実に話していたんです。その時、悟りました。食べることは、単なる栄養摂取じゃない。それは「明日を生きる希望」であり、治療に立ち向かうための「勇気」そのものなんだと。

蓋を開けた瞬間の「わあ!」という喜び。その小さな感動が、ゲストの生命の灯火をパッと明るく灯すような、明日への活力に変わってほしい。あの「パッカン」は、生命の尊厳を確認するための、私たちなりの儀式なんです。

「何もない」という希望。地方創生モデルの未来

ーー今やインバウンドのお客様も多く訪れています。彼らはこの山添村に何を求めているのでしょうか。

梅守さん: 海外の方は、長い旅路で豪華なコース料理や完璧すぎるサービスに、少し疲れていらっしゃるのかもしれません。私たちの宿には、良い意味で「何もない」。だからこそ、飾り気のない日本の日常の姿、ありのままの静寂を、贅沢として受け取ってくださっています。

ーー最後に、梅守さんが見据えるこれからの展望を教えてください。

梅守さん: 日本中には、温泉も雪景色もない「何もない」とされる地域が数え切れないほどあります。でも、ume,yamazoeが示したのは、「何もない」からこそ、ありのままの日常を磨けば、世界と繋がることができるという事実です。

私はゲストを送り出す時、いつも「応援する気持ち」でいます。ここでの体験が、その人の日常を穏やかに生き抜くための糧になってほしい。もし、日本各地で同じように悩んでいる地域があるなら、私たちが学んできた「あるもの磨き」の知恵を伝えていきたい。過疎を嘆くのではなく、その土地の「不自由さ」を愛でる文化を広げること。それが、日本の各地にある可能性を拡張する、私なりの恩返しだと思っています。

過疎が進む山里にぽつりと佇む古民家。

「ume,yamazoe」の歩みを紐解くと、そこには単なる観光地のホテル経営ではなく、現代社会が置き去りにしてきた「誠実な不自由さ」を取り戻すための、静かでありながら情熱的な挑戦の軌跡がありました。

地域住民との葛藤から生まれた「あわい(間)」の共存。自らの手で薪や火と対話し組み上げたサウナ。そして、すべての人を温かく包み込む「HAJIMARI」プロジェクトや希望を灯す朝食。

それら一つひとつは、過疎地の「不自由さ」をかけがえのない価値へと転換させる、美しく力強いパズルのピースです。「何もない」からこそ満たされる、豊かな自然のリズム。山添村の風を感じながら、自分自身の時間と感覚を取り戻す旅へ出かけてみませんか。

                                                                                                      

インタビュアー:大﨑庸平