福島県南会津郡下郷町にある湯野上温泉は、渓谷沿いにひらけた、どこか隠れ里のような趣を感じる温泉地です。そんな土地で、長い歴史を受け継ぎながら、温泉と料理、そしてこの地域にしかない時間を届け続けているのが、ここ藤龍館。今回は、藤龍館の歴史や食へのこだわり、接客で大切にしていること、そしてこの地で宿を続ける思いについて伺いました。

(左)星永重さん(右)星澪さん
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湯野上温泉に温泉宿の文化を根づかせた、藤龍館のはじまり
――まず、藤龍館の歴史から教えていただけますか。いつ頃始まったのでしょうか。
社長:もともとは、藤龍館の母体になる「清水屋旅館」という旅館がありまして、そちらが明治23年創業です。湯野上温泉自体、川が深く切り立った渓谷の地形にあって、生活する場所は川辺より50〜60メートルほど高いところにあったんですね。昔は温泉を利用するにも、みんな川辺まで降りて入りに行っていたそうです

――今のように、宿の中で温泉に入れる形ではなかったんですね。
社長:そうなんです。それでは不便だし、お客様にももっと気軽に温泉を楽しんでもらいたいということで、祖父の祖父の代だったと思うんですが、水車をつくって、水力を使って温泉を汲み上げる手製のポンプをつくったんです。それで50メートル上まで湯を引いて、初めて内湯ができた。おそらく、湯野上温泉で“宿の中に温泉がある湯宿”として始まったのは、うちが最初じゃないかなと思います。
――湯野上温泉の湯宿文化の始まりともいえる存在なんですね。
社長:そうですね。温泉を旅館の中に引き入れて、お客様を迎える形を最初にやったのは、うちだと思っています。

藤龍館ができたのは、100周年の節目
――では、今の藤龍館自体は、いつ誕生したのでしょうか。
社長:藤龍館ができたのは、清水屋旅館の100周年にあたる平成2年です。その節目に、先代、つまり私の父が「こういう宿をやりたい」と建てたのが藤龍館です。いわば100周年記念館のようなものですね。今はこちらを主体に営業しています。

――そうすると、湯宿としての歴史はもっと長くて、藤龍館としては比較的新しい建物ということですね。
社長:そうですね。宿の歴史全体としては135年ほどになりますが、今の藤龍館はその節目の中で生まれた宿です。
全室に内湯を備える、藤龍館ならではの温泉のかたち

――藤龍館の温泉で特徴的なのが、全室に内湯があることだと思います。これは珍しいことなんでしょうか。
社長:今は全室露天風呂付きの宿も多いですが、うちは“内湯文化”を大切にしてきた一族なんです。代々、温泉を引き入れることにものすごく苦労をかけてきた歴史があるので、その文化をきちんとお客様に届けられるようにしたい、という思いがあります。だから、全室に露天風呂ではなく、内湯を備えているんです。
――しかも源泉かけ流しなんですよね。
社長:はい。うちは12室しかありませんが、全室に源泉かけ流しの内湯があります。さらに家族風呂なども含めると、浴槽は20ほどあるんですね。それを全部かけ流しでやるとなると、かなりの湯量が必要なので、同じような形でやっている宿はあまりないと思います。

湯野上温泉は、“隠れ里”のような温泉地
――湯野上温泉には、どんな魅力があると感じていますか。
社長:湯野上温泉に来るお客様は、どこか“ひなびた”雰囲気や、隠れ里のような感覚を求めて来られる方が多いんじゃないかなと思います。湯量が豊富で、一般の家庭でもかけ流しで使えるくらい、お湯が身近な場所でもありますし、温泉そのものを目的に来られる方も多いと思います。

――どこか、ふるさとに帰ってくるような感覚もありそうですね。
社長:そうですね。そんな感覚でいらっしゃる方も多いと思います。
藤龍館が目指すのは、“料理旅館”としての役割

――藤龍館は、その中でも少し違う特色を持っていると感じます。
社長:うちは料理旅館という形でやらせていただいています。会津は郷土料理も食材も本当に豊かなんですけれど、食の奥行きを感じられる場所はまだ多くないと思っていて。たとえば、地元のものを地元の食べ方で味わうのは、どこに行ってもできる。でも、それだけではなくて、会津の食材を使いながら、違う調理法や調味料で表現したり、逆に地元の調味料を使いながら全国の旬の食材を取り寄せて合わせたり、そういう幅を出していきたいんです。
――“地元のものをそのまま出す”とは違う魅力ですね。
社長:そうですね。みんな同じになってしまうと奥行きは生まれないので、そこに一つ違うものがあるだけで、食の想像力やバリエーションは広がると思っています。そういう意味で、食の奥行きを感じてもらえる宿でありたいですね。

――やはり料理を楽しみに来られるお客様も多いのでしょうか。
社長:そうですね。月に1回いらしてくださる方もいますし、本当にありがたいです。料理を楽しみに来てくださるリピーターの方には、ずいぶん支えていただいています。
接客で大切にしているのは、“来る前から想像すること”
――接客の中で、大切にされていることはありますか。
女将:お客様をお迎えするにあたって、まず「どういったお客様なのか」を想像するようにしています。たとえば、赤ちゃん連れで来られる若いご夫婦だったり、60代、70代のご夫婦だったり、本当にさまざまなお客様がいらっしゃいます。どういう背景があってうちを選んでくれたのかな、どんな時間を過ごしたくて来てくれたのかな、ということを、お客様がいらっしゃる前から思い描くようにしています。

――それによって、接客の仕方も変わってくるんですね。
女将:そうですね。たとえば若いご夫婦が赤ちゃん連れで来てくださるときは、きっと赤ちゃんと一緒にゆっくり温泉を楽しみたいのかな、とか、日々のお仕事や子育ての中では味わえない非日常感を求めて来てくださるのかな、と想像するんです。そのうえで、少しでも“いつもとは違う贅沢”を感じていただけるようにしたいと思っています。
――旅行という特別な時間に、どう寄り添えるかを考えているんですね。
女将:旅行に出る時点で、多くの方が“非日常”を求めて来てくださっていると思うんです。いつもより少しおめかししたり、普段行かないような場所を選んだり、初めての体験を楽しみにしていたり。そういう時に、お客様が求めているものに何か一つでも寄り添えたら、その方にとっての特別な時間になるんじゃないかなと思って、できるだけ気を配るようにしています。

この土地に人がいるからこそ、生まれる感動がある
――歴史ある旅館を、この土地で続けていくことは簡単ではないと思います。続けていく原動力は何でしょうか。
社長:私は仕事も含めて、日本全国の宿を訪ねたり、海外に行ったりすることが結構多いんです。そうすると、その土地の雰囲気や空気感、人がそこにいることで素敵な場所になっている、ということをすごく感じるんですね。大自然だけでも美しい場所はたくさんあるけれど、人がいるからこそ人は感動できる、という部分があると思っています。

――この土地で宿を続けることにも、その感覚がつながっているんですね。
社長:そうですね。ここは限界集落に近いような、ずっと過疎化が進んでいる場所でもあるんですけれど、うちがあることで、ここに来てくださる人がいる。その循環が続くのであれば、この場所にしかない良さを、世界の人たちにも伝えていけるんじゃないかと思っていて。それがモチベーションになっています。
南会津の自然や文化を、次の世代にも伝えていきたい
――女将さんご自身は、この土地の魅力をどう感じていますか。
女将:東京に行けば便利なお店も便利なものもたくさんあると思うんですけれど、この片田舎だからこそ自然に囲まれていたり、守られ続けてきた伝統があったりするんですよね。私たちは比較的、それを日常の中で味わっている側なんですけれど、その良さを、今の世代にも、これからの子どもたちの世代にも受け継いでいきたいと思っています。
――地域に根づいた文化を守る役割も感じていらっしゃるんですね。
女将:そうですね。こういった田舎だからこそ守りやすい伝統文化もありますし、日本だけじゃなくて、世界にも「南会津ってこんなにいいところなんだよ」と伝えていきたいなと思っています。

藤龍館の歴史をたどると、そこには“温泉をもっと身近に、もっと心地よく届けたい”という先人たちの知恵と工夫がありました。
そして今、その歴史を受け継ぎながら、料理旅館としての奥行きある食を届けること、訪れる人の背景に思いを巡らせながら特別な時間をつくること、この土地に人がいるからこそ生まれる感動を守ること――そんな思いが、社長と女将の言葉からまっすぐに伝わってきます。
温泉も、料理も、接客も、この地域で流れてきた時間の一部。
藤龍館は、湯野上温泉の歴史を受け継ぎながら、南会津の魅力を次の世代へ、そしてまだ知らない人たちへと手渡していく宿なのだと感じました。

インタビュアー:大崎 庸平
