侍、アニメ、そして多彩なポップカルチャー。日本に興味を持つきっかけは、人それぞれだろう。暗闇に姿を隠し、手裏剣を操る「忍者」も、映画や漫画を通して世界中で親しまれている存在の一つだ。
では、その忍者と深く結びついた土地、三重県伊賀市をご存じだろうか。忍者の姿は思い浮かんでも、伊賀という地名や、日本のどこにあるのかまでは知らない人もいるかもしれない。京都や大阪、名古屋から足を延ばせるこの街には、物語の中で見てきた忍者を、その歴史や暮らしから知る入り口がある。
忍者たちは、この土地で何を考え、どんな知恵を磨いていたのだろう。見慣れた忍者の姿も、そのふるさとを訪ねれば、少し違って見えてくるかもしれない。そして伊賀には、彼らが身に付けた技術を、自分でも試すことのできる施設があるという。
今回はここを目的地に、伊賀で一夜を過ごすことにした。京都から電車に乗り、忍者のふるさとを訪ねる旅が始まる。
10:00| 京都から、忍者の歴史が息づく伊賀へ
京都から電車を乗り継ぎ、三重県の伊賀へ向かう。今回は草津、柘植を経由し、伊賀上野駅から伊賀鉄道で街の中心にある上野市駅へ。接続にもよるが、およそ2時間の道のりだ。車窓には田畑や山並みが広がり、京都の街中から、山々に囲まれた盆地へと旅の舞台が移っていく。
上野市駅の愛称は「忍者市駅」。伊賀は、隣接する滋賀県の甲賀とともに、忍者の歴史と深く結びついた土地として知られている。その背景にあるのは、この地域で暮らした人々が、自分たちの土地を守るために培ってきた知恵や技術だ。
各地の武将が勢力を争った戦国時代、伊賀では地域を一つにまとめる強大な領主が現れず、地元の武士たちが連携して自治を担っていた。周囲の情勢を探り、敵の動きを知ることは、自分たちの暮らしを守るうえでも大切だった。忍者の役割として重要だったのも、ひそかに情報を集め、無事に持ち帰ること。そこには、身を隠す技術に加えて、地形や天候を読み、火薬や薬を扱う幅広い知識が関わっていた。映画や漫画で親しんだ「NINJA」の背景には、土地に根ざした人々の営みがある。
伊賀上野は、城を中心に発展した城下町でもある。伊賀上野城や町家、寺社が点在し、旅と俳句で知られる松尾芭蕉のふるさととしての顔も持つ。忍者を入り口に訪れても、街を歩けば、その先にある文化へと関心が広がっていく。
12:00|「万川集海」で、忍者の知恵に触れる

街を歩いていると、ひときわ目を引く建物が現れた。今回の目的地、伊賀流忍者体験施設「万川集海」だ。施設名の由来は、伊賀や甲賀に伝わる忍術をまとめた書物。ここでは、その教えをもとに、忍者の知恵や技術を身体で学ぶことができる。
館内には食事処や宿泊施設もあるが、忍者体験だけの利用もできる。街歩きの途中に立ち寄るなら、約15〜20分の知識編「魔堅窟巡り」。じっくり身体を動かして学ぶなら、着替えを含めて約2時間の実践編「忍修殿」がある。今回は両方に参加し、それぞれ違う角度から忍者の世界に触れることにした。

最初に向かったのは、洞窟状の空間を進む「魔堅窟巡り」。手元の灯りを頼りに暗闇を歩くと、明るい場所では気にも留めない足元や、先の見えない通路に自然と意識が向く。ただ洞窟を眺めて歩くだけでは終わらない、思わず身構える場面もある。何が待っているかは、訪れてからのお楽しみにしておきたい。
印象的なのは、空間の作り込みだ。岩肌や入り組んだ道、カエルや蛇、ナメクジの姿まで、細かな演出が一つの世界を形作っている。建物の中にいることを忘れそうになるほどで、テーマパークの物語に足を踏み入れたような感覚があった。

続いて、忍者装束に着替えて参加する実践編「忍修殿」。インストラクターの解説はユーモアがあり、初めて触れる忍術の話にも引き込まれる。指を組んで印を結ぶ所作や、手裏剣投げ。アニメや漫画で見た動きを自分で試せることに、心が弾む。印を結ぶ所作には精神を集中させる意味もあると知ると、見覚えのある動きも違って見えてくる。
施設の担当者が大切にしているのは、生き延び、任務を果たすための知恵を伝えることだという。忍術書に残る技術を、学芸員やインストラクターと試行錯誤しながら体験にしたそうだ。楽しく身体を動かす時間の中に、忍者が何を考え、何を身に付けていたのかを知る入り口がある。
着替えを含めて約2時間の体験を終えたら、「蔵元 若戎サイダー」でひと息。伊賀の酒蔵が酒造りに使う仕込み水から生まれた、ノンアルコールの炭酸飲料だ。シュワシュワと弾ける一口が、動いたあとの身体に染みる。忍術に集中していた時間がほどけ、伊賀の味をゆっくり楽しむ時間へと切り替わっていった。
15:00|隠れ宿「陰陽宿」で、風呂とサウナを楽しむ

忍者体験のあとは、併設された「陰陽宿」へ。ここでは、部屋に入るまでの道のりにもわくわくさせられる。施設の中を案内されながら進む時間は、先ほどまでの体験の続きのようだ。担当者によれば、入口がわかりづらく、外からは宿の場所がわからない造りも「隠れ宿」としての特徴なのだという。部屋に着く前から、忍者の世界に泊まるという感覚が少しずつ深まっていく。
客室はコンパクト。そのこぢんまりとした空間が、どこかにひっそりと身を潜めているような雰囲気に合っている。昼間に歩いた洞窟の仕掛けとはまた違う、忍者の世界を感じる部屋だ。荷物を置いて腰を下ろすと、ここで一晩を過ごすのだという実感が湧いてくる。

何よりうれしいのは、客室専用のお風呂とサウナが付いていること。部屋に備わるのは、露天の壺湯とプライベートサウナだ。壺湯とは、大きな壺のような形をした浴槽のお風呂のこと。ほかの宿泊客と共用することなく、一緒に泊まる人たちだけで楽しめる。日本の大浴場に慣れていない人にも、気兼ねなく湯につかれるのはうれしい点だろう。
約2時間の忍者体験では、歩き、姿勢を変え、慣れない動作を繰り返した。楽しく過ごしていたぶん、終わってから身体を休める時間がありがたい。お風呂やサウナには、体験で疲れた身体を癒し、そのまま泊まってゆっくり過ごしてほしいという思いが込められているそうだ。
忍術を学ぶ時間から、自分のペースでくつろぐ時間へ。体験を終えてすぐに帰路につかず、こうして余韻を味わえるところに、ここに泊まる楽しさがある。夕食までは、お風呂とサウナを楽しみながら、隠れ宿での時間をゆっくり過ごしたい。


18:00|城を望む食卓で、伊賀の味を楽しむ
夕食は、館内の「伊賀忍者饗膳」へ。入口で見せるのは、夕食への「許可書」。その紙を水に浸すと、文字が浮かび上がる仕掛けまである。何が書かれているかは、訪れてからのお楽しみ。席に着くまでにも、忍者の世界が続いている。
店内は落ち着いた雰囲気で、窓の向こうには伊賀上野城がうっすらと見える。「忍者市駅」の愛称で知られる上野市駅や、行き交う学生たちの姿も目に入る。旅先でゆっくり夕食を楽しむすぐそばに、この街のいつもの夕方がある。その眺めにはどこか懐かしさがあり、料理を待つ時間も心地よかった。宿泊者以外も利用でき、ランチや夕食だけで立ち寄ることもできる。
今回は、別々のメニューとして用意されている次の二つをいただいた。

万川集海 伊賀城鍋膳
- 先付:季節の前菜
- 八寸:彩り豊かな盛り合わせ
- 伊賀城五桜閣:特製盛り合わせ
- 万川集海鍋:特注の伊賀焼鍋で楽しむ鍋料理
- 締めの雑炊:伊賀米・養肝漬
伊賀流忍者 牛鍋膳
- 薬膳湯
- 前菜五種
- 伊賀牛すき焼き鍋
- 伊賀米土鍋ご飯・味噌汁・養肝漬
食卓に現れる、城をかたどった伊賀焼の器。その細かな形を眺めるうちに、自然と会話も弾む。施設ならではの土鍋を作りたいと、地元の窯元に依頼して生まれたものだという。目で楽しんだ器が、土地の食材を味わう道具にもなるところが面白い。
鍋から立ち上る湯気と香りに、食欲が誘われる。しゃぶしゃぶは、特製の黒ごまだれとポン酢でいただく。香ばしくコクのある黒ごまだれと、さっぱりとしたポン酢。同じ肉でも、たれを替えると味わいが変わり、ひと口ずつ楽しみが続く。
すき焼きの伊賀牛を口に運ぶと、甘辛い味わいのあとから肉の旨みと脂の甘さがゆっくり広がる。そこへ温かな伊賀米をひと口。ご飯のやさしい甘みが重なり、また箸を伸ばしたくなる。
伊賀城鍋膳の締めは、具材の旨みが溶け込んだ汁で楽しむ雑炊。米の一粒一粒に味がなじみ、食事の終わりにほっとするようなおいしさがある。添えられた伊賀の漬物、養肝漬が、合間に味わいの変化を添えてくれる。


食事中には、忍者による「火遁の術」のパフォーマンスも。静かな食卓に火の演出が加わり、思わず見入ってしまった。食べ終えるころには、お腹はすっかりいっぱい。身体を動かし、お風呂でくつろぎ、伊賀の味まで存分に楽しんだ。今夜はぐっすり眠れそうだ。
20:00|日本酒バーで、伊賀の夜をゆっくり味わう

夕食のあとは、レストランとは別の日本酒バーへ。暗めの室内に温かな灯りが落ち、木のカウンターに並ぶ酒瓶を照らしている。氷を入れたガラスの器には、冷やされた日本酒がいくつも並ぶ。席に着いてそのラベルを眺める時間にも、旅先で地酒を選ぶ楽しさがある。
伊賀は、米と水に恵まれた酒どころ。施設の担当者も、さまざまな日本酒を飲み比べる楽しみを伝えたいと話していた。少しずつ香りや口当たりの違いを確かめ、自分の好みを探してみる。日本酒に詳しくなくても、そんな味わい方なら気軽に楽しめそうだ。
ふと見上げると、壁には忍術の名前がずらりと並んでいる。昼間の体験を思い返すきっかけが、夜の空間にもさりげなく残されていた。お猪口という小さな酒器を傾けながら、一日の出来事を振り返る。あとは部屋に戻って休むだけ。伊賀に泊まる夜には、もう少し余韻を楽しめる時間があった。
翌朝 08:00|伊賀の朝と、旅の余韻を味わう

翌朝の楽しみは、伊賀の食材を取り入れた洋朝食。和食と洋食から選べる。 前夜は伊賀牛や鍋料理をたっぷり味わったが、朝の食卓にはパンや卵料理、野菜が並ぶ。旅先でなじみのある朝食を楽しみながら、その土地の味にも出会える。
この日のお品書きはこちら。
- 伊賀米パンと自家製コンフィチュール
- あいのう卵のスパニッシュオムレツ
- ソーセージ
- 伊賀野菜のサラダ
- ヨーグルト
- 季節のフルーツ
- 伊賀野菜のスムージー
とりわけ印象に残ったのは、パンに添えられた2種類のいちごジャム。同じいちごでも、食べ比べる楽しみがある。パンそのものもおいしく、ジャムを少しずつ合わせながら、ゆっくり味わいたくなる。卵料理もおいしく、サラダや果物に加えてスムージーまでそろう。朝に食べたいものが少しずつ並ぶ食卓は、僕にとって本当に理想の朝食だった。
10:00|チェックアウト

出発前には、2階のお土産店「万川堂」にも立ち寄りたい。忍者をモチーフにしたお菓子や雑貨、施設のオリジナル商品、伊賀の特産品を扱う店だ。アンティーク家具を取り入れた空間で、帰りの買い物にも少し時間を取っておきたくなる。
忍者体験を思い出す品を選ぶのも、伊賀の味を身近な人に届けるのもいい。日本のお土産には、旅先で出会ったものを持ち帰り、誰かと分かち合う楽しみもある。体験や食事を通して土地を知ったあとなら、店先に並ぶ品を見る目も少し変わりそうだ。
万川集海を出れば、近くには上野市駅がある。電車で次の目的地へ向かう前に、時間があれば城下町をもうひと歩き。前夜、窓越しに眺めた伊賀上野城を近くで見るのも、この一泊の旅に似合う締めくくりになる。
旅を終えて|忍者のふるさとで出会った温かさ

忍者への好奇心から始まった一泊二日。自分の身体で忍術を試すうちに、映画や漫画で見ていた姿に、生き延びるための知恵や工夫が重なっていった。
体験のあとに湯につかり、伊賀焼の器で地元の食材を味わい、夜は日本酒を楽しむ。窓の向こうには城が見え、駅を行き交う学生たちの姿もあった。特別な旅の時間のすぐそばで、この街の日常が続いている。その風景が、伊賀を身近に感じさせてくれた。
何より心に残ったのは、出会った人たちが旅人を温かく迎えてくれたこと。忍術を教わるときも、食卓を囲むときも、伊賀のよさを楽しんでほしいという気持ちが伝わってきた。その温かさが、一つひとつの体験を、懐かしく思い返したくなる記憶にしてくれた。
忍者に会いに来たはずが、帰るころには、この街でもう少し過ごしたくなっている。まだ歩いていない路地も、味わっていないものもある。次に伊賀を訪れる日を思い浮かべながら、旅の余韻を持ち帰った。
保護中: 万川集海
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